こうした<見せる要素>こそ、信長・秀吉時代の城の大きな特徴といえます。
斜面に沿った長大な石垣は、朝鮮出兵先の倭城につくった「登り石垣」を連想させます。
倭城の登り石垣は港湾確保を目的とした実用性に重きを置いていますが、国内では少し違う使い方が見られます。
斜面に石垣をつくる発想や技術を取り入れた、この時期ならではの石垣のように思います。
二ノ丸を歩いていると、とにかく虎口をはじめ南側の石垣の見事さに圧倒されます。
北面にも石垣はありますが、どちらかというと南側を重視した印象。
かつ登り石垣のように城壁としての見栄えを意識している気がします。
石垣の完成度に対して、曲輪が不整形でガタガタな点にも注目です。
清水山城は秀吉を迎え入れる「御座所」だったとされますが、
こんな造成されていない曲輪に天下人用の建物が建っていたとは思えません。
それは、城を中心とした一大都市までつくり上げた名護屋城と比較すれば一目瞭然。
やはりこの城は敷地内の実用性ではなく、外観の象徴性に重きが置かれているのだと思います。
主郭背後の処理もあまいです。
戦国時代の山城は城の背後が尾根続きの場合、大きな堀切を掘って城域を独立させます。
地域や築城時期、緊迫度によっては、二重、三重に掘り込むケースも少なくありません。
清水山城にそれがないのは、尾根伝いに背後から攻め込まれることを想定していない城、だからでしょう。
清水山城の代表的なビジュアルとして登場する、ニノ丸の枡形虎口。
たぶん、映えるからです。笑
でも、枡形虎口があるからスゴい城だとかそういうことではないし、異質といえば異質。
同時進行で積まれた多様性、厳原港からの見え方を意識したラインや高さなど、
清水山城ならではの石垣の雰囲気を探してみてくださいね。
清水山城って本当に見どころ、語りどころ満載なんです!
けど、いつか「対馬お城大使・萩原さちこの 清水山城まるごと探訪ムービー」を撮れる日を夢見て、出し惜しみしておきます。笑