宗氏は、室町時代から朝鮮との外交実績があり、国交のノウハウを持つ一族。
朝鮮出兵で悪化した国際関係を修復せねばならない家康としても、頼らざるをえなかったからでしょうね。
対馬を治められるのは宗氏だけ。国替えの選択肢などなかったのでしょう。
この時期の宗氏の生き様が、かなりイイ!笑
家康側と朝鮮側、双方のメリットと妥協点を探りながら、微妙なラインでなりふり構わず工作。
ときには独断も織り交ぜ、綱渡りのように際どい判断も下しながら、国交回復のパイプ役を見事に完遂しました。
軽く、国書の偽作までやってのけてます。
朝鮮側が徳川政権から国書を送るように要求してくると、国書を偽造して朝鮮へ提出。
江戸を訪れた朝鮮側の回答使の返書も、先に偽造した国書と辻褄が合うよう改ざんしてしまいます。
その後の交渉でも、国書の偽造と改ざんを行いました。
対馬にとって、国交回復できるかは死活問題であり、
実務交渉役は江戸幕府の世で生き抜く起死回生の大チャンス。
参勤交代も3年に一度に免除され、結果的には防衛協定を締結させ朝鮮貿易の独占に成功しました。
日本使節団が居留する「倭館」を通じた貿易は、やがて対馬に光と潤いをもたらします。
対馬って、独立国家というか、現在の認識では分類できない立ち位置だったのでしょうね。
秀吉も、太閤検地の対象外としていますし。
いい意味で、どこにも属さず、独自のバランス感覚で成立してきたのだと思います。
「対馬まるごと探訪ブック」に掲載されている座談会のとき、
春風亭昇太師匠が「宗氏って商人っぽいよね」と仰せだったのが、言い得て妙だなと思いました。
均衡を保ち方、判断力や行動力が、政治家というより商人っぽいですよね。笑
実際に、柳川氏はもともと貿易する商人だった説があり、そのおかげで出世したようです。